大岡東にある『丘の上の黒船見物』。
真光寺の高台です。
『丘の上の黒船見物』???
なんのこっちゃと思いますが、実は昔から伝わる民話があるんです。
江戸時代終わり頃のお話になるんですが、
ある日、当然、浦賀沖にアメリカの軍艦がやってきました。
当時、日本人がよその国へ行ったり、外国人が来たりはしていけない時代でした。
・・・今考えると、今では考えられない話ですね。
海から離れて住んでいた村人たちは、のんびーりと畑仕事に精を出していました。
子供たちも、親の手伝いをよくし、仕事の合間に、暇を見つけて山でうさぎを追いかけたり、木登りしたり、自然ならではの遊びをたくさん考えて遊んでいたそうです。
今日も、いつものように高い高い木のてっぺんに登って、遠くを眺めていた子供たちが、竹筒をのぞくと、真っ黒な見たこともない船が見えたのです。
それに、驚いた子供たちは、急いでおうちに帰りましたが、家には、誰もおらず、じいちゃん、ばあちゃん、親たちまでが庄屋の家の庭先に集まって、騒いでいたのです。
浦賀では、一日中半鐘が鳴ってたり、真っ黒な大きい船が煙をだして大きな音を出しているという話で持ちきりでした。
武士が目をつり上げて血相を変えながら、西へ東へ馬を走らせているとか、
街沿いの人たちは息をひそめて家の中に隠れているとか、村田村へ野菜を売りにいったおじいさんが、まるで見てきたかのように、沢山の人に話していたそうです。
金沢の小紫沖まで黒船がきていると耳にすると、戦になるかも!?と怯えながらも、黒船を一目みたいと心は高ぶっていました。
『さあ、さあ、仕事さ、かたづけて、見に行くぞ!早う、手伝えよ。』
と、上大岡の真光寺の高台が、見晴らしもよくて見物場所になっていたようです。
一人二人と集まると、次から次へと人が集まってきて、人だかりができました。
そのうちに、団子やお茶を売る人も出てきて、賑わいました。
黒船がいた8日間、この場所は、黒船を一目見ようとする村人で、大変賑わったそうです。
この民話を聞いたあとに、真光寺の高台に行ってみると、また違った感覚で景色を一望できますね。
『ここから、黒船を見ていたんだ・・・』
と、懐かしきも、親しみ深い気持ちになります。
高台なので、ぜひ、『黒船来航 ペリー』と叫んで味わいましょう!!