坂道を歩いていると、突然現れる立派な石碑。
地図にも載っていません。
石碑を見ると、「顕彰碑」と書いてまります。
「顕彰碑」とは、功績や善行などを称えるために立てられる石碑などのことです。
この地域の昔の地名は「久良岐郡大岡川村字八郎ヶ谷字北久保」といいました。
その後、横浜市に編入され「南区上大岡町」となっています。
地主が無償で横浜市に土地を譲りましたが、この地域の発展は道路整備によるところが大きく、
上大岡エリアの発展に寄与したとされ、顕彰碑が建てられたのだそうです。
この石碑の下部には、地主の氏名が記載されています。
書かれている文言には「当地域は旧名を久良岐郡大岡川村字八郎ヶ谷字北久保と称したが、
昭和二年四月久良岐郡大岡川村の名称は解消、横浜市に編入せられ時移り昭和十八年十二月一日南区上大岡町となる。
抑、地域の発展繁栄の基は道路の整備にある事は言を俟まず。
先代地主山野井豊翁が地域開発、発展のためあらゆる困難を克服せられも遺業は当時の開発者の記録に秘められあるところ、
今般先代の意志を継ぐ現地主諸氏の誠意と理解とにより全長四一三米(二二七間)巾六・三七米(三間半)に亘る
厖大なる富士見道路敷地を市当局に移譲すべく無償提供せられたるは地域居住者初め発起人一同洵に感銘に堪えず、
茲に其誠意と功績を永く顕彰するため先代地主諸氏の氏名を銘記し碑を建立す」とあります。
なんとなく見つける石碑にも、このようにその土地の歴史が刻まれているのですね。